ボンジュール  やきたてパン

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フランスのパンのマイスターに教えていただきました









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手作りパン工房のボンジュールです。

今、パン屋はあちこちに出来て、どこに行ってもパン屋があります。そして、同じようなパンがたくさん並べられています。
当、ボンジュールでは自店で材料を選び、製法、配合、成型など自分で工夫して作っています。当店のコンセプトとして『他にはないパン。独自で世界に一つしかない、いままでたべたことのないパン』をかかげています。お客様に当店のパンを召し上がっていただき、感動して「おいしい」といっていただけたらと思い、日々パン作りに励んでいます。
ペイペイ




        鍵本パンの歴史とボンジュール

パンは幕末のころ軍事上の必要性から江川太郎左衛門が1843年に初めて食パンを焼きました。
日本人パン屋
の第一号は1860年の野田兵吾です。
今から137年前、明治15年(1882年)に鍵本芳蔵が鍵本パンを唐戸に作りました。設立は木村安兵衛が明治2年なので日本でもかなり古いパン屋となる。当時唐戸の港は外国船が多く芳蔵は船に入り外人にパンの作り方を学んだ。パンは西洋料理店や外国人、病院などで使われたということです。
ハイカラな人でこの当時珍しく自転車に
のっていたらしい。
その後、大分にいた甥の松行初治郎が継いだが、パンがなかなかふくらまず悩んでいたが、ある日、発酵箱の上に寝ていたら生地がふくらんで箱のふたを押し上げ転げ落ちたということをきいた。
そうして下関で大分県人会の会長
をして大分の人を多く雇っていった。
戦時中は空襲で工場が全焼したがドイツの石窯のみが残っていて、祖父と父が大分より材木を取り寄せ工場を再建した。2代目は53歳でなくなりました。
昭和33年には天皇陛下へ朝食用の食パンをご献上。
昭和42年には川中本町に新工場を設立して宇部から北九州まで直売店を作り300人の従業員がいた。
市内の学校給食のパンや卸のパンもかなり作っていた。
昭和50年ころは焼き立てパンの店を市内に多く作って、これも良く売れた。店で焼きたてのパンが焼かれるシステムがほとんどなく、学生など毎日行列ができていた。
しかしその後、大手企業、スーパー、コンビニの進出などで環境ががらりとかわり、うちの規模で今までと同じようにはやっていけないと決断し、大手ではできないパンを作り地域に根差すパン屋ボンジュールとして再出発したわけです。
当店の特徴あるパンとして天然酵母シュトーレン、パネトーネ、健康志向の全粒粉食パン、玄米食パン、昔からの同じ製法としてホテル食パン、下関のソウルフードといっていいロケットパン、レトロなパンとして学生に人気だったチョコパイやチーズクリームなどあります。また、下関名物のパンとして鯨入りカツ味噌だれバーガー、垢田のトマト使用焼き立て食パンサンドイッチ、瓦そばパンなどあります。

お客様の声
《40代の女性》
学生時代に朝ボンジュールで友達と並んで買っていた時がとっても幸せだった。
《男性》
小学校の時、買っていてなつかしく買いに来た。
《女性》
鍵本パンに昔勤めていた。懐かしい。小学校の時、工場見学に来られた方も思い出として残っている。

137年の長きにわたり下関で、鍵本パン社員やお客様として携わった方が大勢いるのに、今でも驚きとともに、続けてこられた感謝を伝えたいと思います。有難うございました。
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山口県下関市貴船町1-12-3 かぎもと製パン葛M船ボンジュール/083-231-5720
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